読みやすさのために適宜改行や強調(太字化)を加えています。

2021/03/24

「芸術の目的は(…)個性の領域を広げることであります」




芸術を技術から区別できる意味だけから言えば、
芸術はまず何よりも個人の領域に係るものであります。

そして芸術の目的は、
それと関連した多くの偶然的技術的機能は別にして、
個性の領域を広げることであります。

それゆえ、偶々(たまたま)ある特定の人物、特定の文化におこって
独自の個性ある形をとった感情、情緒、挙措、価値などは、
他の個人や他の文化に力強く有意義に伝達されうるのであります。

共感と感情移入は芸術特有の方法であり、
いわば他の人間の奥深い体験をともに感じること、
そのなかに感入することである。

芸術作品とは人間がそこから自分の体験の
底流をなす水源をともにすることのできる、
目に見え飲みほすことのできる泉であります。


ルイス・マンフォード『芸術と技術』(生田勉訳・岩波新書)p.17
昭和40年発行(初版は昭和29年)の古書より、旧字体を適宜改めて引用しました。
その後『現代文明を考える―芸術と技術』というタイトルで講談社学術文庫でも発行されています。


[2009年5月 4日 (月)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/03/18

「もしあるタイプの小説を読むことに耐えられないのなら」



私が書き始めた頃、一般に新人作家にとって最適で、
もっとも受け容れられやすい市場は
“告白”雑誌だと見なされていた。
原稿料も高かった。

(…)何度か告白雑誌を買うか借りるかして、
最後まで読み通そうとした。が、できなかった。
あれだけ読んだうちのただのひとつも、
すっ飛ばさずには読めなかった。
読んでいるものに集中できなかった。
表表紙から裏表紙まで、雑誌全体が
魂を腐らせるゴミでしかないという
確信を振り払えなかった。

(…)告白ものはだめだと思っていたら、
ある週末、締め切りが迫っていて
早急に穴を埋めなければならない出版社のために
三篇書くことになった。
三篇とも出来はひどかった。
私は仕事を与えられたから書いただけ、
出版社はそうせざるを得なかったから出版しただけ。
これほどつらい原稿料はなかった。

ほかの分野で似たような経験をした書き手が
何人もいるのを知っている。
教訓はしごく単純だ。
もしあるタイプの小説を読むことに耐えられないのなら、
それを書こうとするのは時間の無駄である。


ローレンス・ブロック『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(田口俊樹/加賀山卓朗訳・原書房)p.26-27


[2009年4月 1日 (水)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)