読みやすさのために適宜改行や強調(太字化)を加えています。

イベント参加予定

【イベント参加予定】2024/5/19 文学フリマ東京38 / 2024/5/26 COMITIA 148

2021/07/15

「自分がもっとも自分となるような」

 …天才のもつ健全な自惚がロレンスに欠けていたことが、
かれの生涯を悲劇的な浪費におわらせた根本原因の一つである。

(中略)ケニントンは、まったく他人の、
千里眼のきく老教師に『智慧の七本の柱』を
見せたときのことをこう述べている。
それを読んでの教師の感想は――

「この本を読んで、わたしは胸が痛んだ。
これを書いた人は、わたしの知るかぎりでは
もっともずばぬけた大人物だが、
この人はおそろしくまちがっている。
自分が自分でないのだ…(中略)

わたしは心配でならない。
この人は行動のなかで生きてはいない。(中略)」

この感想は、ロレンスの根底を衝いているのみか、
「アウトサイダー」一般の性格を的確に表現している。

「この人は行動のなかで生きていない」――
まさにムルソーとクレブスである。
「自分が自分でない」という言葉の意味は、さらに深い。

自分がもっとも自分となるような、
つまり最大限に自己を表現できるような
行動様式を見出すのが
「アウトサイダー」の仕事であることを、
この一言は意味している。


コリン・ウィルソン『アウトサイダー』「Ⅳ制御への試み」より、T.E.ロレンスについての分析(引用は1957年刊・福田恒存/中村保男訳・紀伊国屋書店版 p.73より)


[2011年1月25日 (火)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/07/05

「枯らすなら おまへの墓場で枯らしたいから」



 私の深い悲しみの庭の中に
 ああ 見捨てられた私の心よ、おまへもおんなじだ、
 かまひてもないが凋(しぼ)みもしない
この貧しい詩の花も さうなのだ

とぢてしまつたおまへの眼を、昔うれしがらせたこの花を、
 おまへの墓場に植ゑさせてくれないか。
 よしや咲きさかる時がなからうとも、
枯らすなら おまへの墓場で枯らしたいから


テニスン『イン・メモリアム』 No.8より(入江直祐訳・岩波文庫)p.40
(早世した親友アーサー・ハラムを悼む詩の一部です)


[2010年10月 3日 (日)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)