読みやすさのために適宜改行や強調(太字化)を加えています。
(ココログ『としま腐女子のいろいろ読書ノート』から1記事ずつ引っ越し中。発掘できた本は写真を加えています)

2021/04/15

「全体像が見えている時は、 人間は簡単にはあきらめないものだ」



最初の二、三日は、
ネイグルの立てた潜水計画に厳密にしたがって〈ドリア〉に潜った。
見つからなかった。鐘はなかった。

その時点で、どんなタフなダイバーでも、
あきらめて引き返そうと考えただろう。

長さ二〇メートルの船で大西洋の外界に一日出ただけでも、
はらわたの表裏がひっくり返るほどの揺れを経験する。

長さ一〇メートルの栄光の浴槽(バスタブ)で四日が過ぎた。

が、全体像が見えている時は、
人間は簡単にはあきらめないものだ。

ロバート・カーソン『シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち(上)』(上野元美訳・早川書房)p.36


[2009年6月17日 (水)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/04/07

「道徳は大部分、支配階級の利益と感情から生まれたものである」

支配的な階級がある国では、その国の道徳、
つまり社会道徳は、かなりの部分、
支配的な階級の自己利益と優越感から生まれている。

古代スパルタの市民と奴隷、
アメリカの植民者と黒人、
国王と臣民、
領主と農奴、
男と女
などの関係を規定する道徳は大部分、
支配階級の利益と感情から生まれたものである。

ジョン・スチュアート・ミル『自由論』(山崎洋一訳・光文社)p.21


[2009年5月27日 (水)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)



2021/04/01

「『政治的に可能』かどうかは気にしないようにした」

 私はしばらく間をおいてから、冷ややかに答えた。

「ああ、やっとわかりました。あなたがいまいったことを、
ボリビアの友人たちに説明させてください。
あなたはシティバンクに電話して、
ボリビアの政策が適切かどうか尋ねるつもりなんですね?
つまり、IMFの債務戦略は銀行の思惑しだいということですか?」

代表団長は怒りをあらわにして本を閉じ、
立ち上がって、話し合いは終わりだった。

(中略)

ところが面白いことに、それ以後、IMFは二度とボリビアに
利子支払い再開の要求をしなくなったのだ。

(中略)

たぶん未熟さゆえだろうが、
私は赤字削減のために型破りな方法が
必要だと思っただけでなく、
それが可能だと信じた。
そんな思い込みは結局、正しかった。

それ以来、私は何が必要かという点だけを明瞭にし、
「政治的に可能」かどうかは気にしないようにした。

何かが必要なら、それは可能だし、
なんとしても実現させるべきなのだ!

ジェフリー・サックス『貧困の終焉~2025年までに世界を変える~』(鈴木主税/野中邦子訳・早川書房)p.161、170


[2009年5月17日 (日)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)


2021/03/24

「芸術の目的は(…)個性の領域を広げることであります」




芸術を技術から区別できる意味だけから言えば、
芸術はまず何よりも個人の領域に係るものであります。

そして芸術の目的は、
それと関連した多くの偶然的技術的機能は別にして、
個性の領域を広げることであります。

それゆえ、偶々(たまたま)ある特定の人物、特定の文化におこって
独自の個性ある形をとった感情、情緒、挙措、価値などは、
他の個人や他の文化に力強く有意義に伝達されうるのであります。

共感と感情移入は芸術特有の方法であり、
いわば他の人間の奥深い体験をともに感じること、
そのなかに感入することである。

芸術作品とは人間がそこから自分の体験の
底流をなす水源をともにすることのできる、
目に見え飲みほすことのできる泉であります。

ルイス・マンフォード『芸術と技術』(生田勉訳・岩波新書)p.17
昭和40年発行(初版は昭和29年)の古書より、旧字体を適宜改めて引用しました。
その後『現代文明を考える―芸術と技術』というタイトルで講談社学術文庫でも発行されています。


[2009年5月 4日 (月)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/03/18

「もしあるタイプの小説を読むことに耐えられないのなら」



私が書き始めた頃、一般に新人作家にとって最適で、
もっとも受け容れられやすい市場は
“告白”雑誌だと見なされていた。
原稿料も高かった。

(中略)何度か告白雑誌を買うか借りるかして、
最後まで読み通そうとした。が、できなかった。
あれだけ読んだうちのただのひとつも、
すっ飛ばさずには読めなかった。
読んでいるものに集中できなかった。
表表紙から裏表紙まで、雑誌全体が
魂を腐らせるゴミでしかないという
確信を振り払えなかった。

(中略)告白ものはだめだと思っていたら、
ある週末、締め切りが迫っていて
早急に穴を埋めなければならない出版社のために
三篇書くことになった。
三篇とも出来はひどかった。
私は仕事を与えられたから書いただけ、
出版社はそうせざるを得なかったから出版しただけ。
これほどつらい原稿料はなかった。

ほかの分野で似たような経験をした書き手が
何人もいるのを知っている。
教訓はしごく単純だ。
もしあるタイプの小説を読むことに耐えられないのなら、
それを書こうとするのは時間の無駄である。

ローレンス・ブロック『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(田口俊樹/加賀山卓朗訳・原書房)p.26-27


[2009年4月 1日 (水)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)


2021/02/26

「文学はすべて無名の状態を目ざす」



 本の著者の名前を知りたいと思うだろうか?

この質問には、意外に深い問題がひそんでいる。

…(中略)『老水夫行』を読んでいるときのわれわれは、
天文学も地理学も日常の倫理も忘れている。
著者のことも、忘れてはいまいか。…(中略)
この詩を読む前後にこそ思い出しはしても、
読んでいるあいだは詩そのものしか存在していないのではないか。

それなら、『老水夫行』を読んでいるあいだに、
この詩にはある変化が起きたのである。
「サー・パトリック・スペンスのバラッド」と同じく、
作者不詳と化したのだ。

これで私の結論は出る。
文学はすべて無名の状態を目ざすのであり、
言葉に創造力がありさえすれば、
署名はその真の価値から注意をそらさせるだけだ、
ということである。

…(中略)創造主を忘れるというのも、
創造されたものの機能のひとつなのだ。

E.M.フォースター『無名ということ』(小野寺健編訳・『フォースター評論集』所収・岩波文庫)p.39,47-48


[2009年3月14日 (土)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/24

「手を動かすことで創造力が」

 芸術家が創作を開始したとき、

頭の中に明確な最終イメージを持っていることはほとんどない。

(中略)私にとってビジュアライゼーションの本当の作業は、

すべて、下書きと修正のなかにあった。

思うに、想像力は手を動かすほどの力を持っていないが、

もの作りに熱中しているとき、

手を動かすことで創造力が刺激された経験を持つ人は多いだろう。

スティーブン・T・キャッツ『映画監督術 SHOT BY SHOT』(津谷祐司訳・フィルムアート社)p.14


(2009年2月28日 (土)元投稿)
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/17

「行為の結果を動機としてはいけない」




 あなたの職務は行為そのものにある。

決してその結果にはない。

行為の結果を動機としてはいけない。

また無為に執着してはならぬ。

バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳・岩波文庫)p.39


[2009年2月25日 (水)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/05

「〈知ること〉はすべて、〈知る人〉の構造にかかっている」



〈知ること〉[認識]はすべて

〈知る人〉[認識者]によるアクションなのだ、

ということに気づく。
それが、われわれの出発点だった。

つまり、いいかえれば、
〈知ること〉はすべて、
〈知る人〉の構造にかかっているのだということに。

ウンベルト・マトゥラーナ/フランシスコ・バレーラ『知恵の樹 生きている世界はどのようにして生まれるのか』(管啓次郎訳・ちくま学芸文庫)p.39


[2009年2月23日 (月)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/02

「さようなら、いとしい王子さま」




 ツバメは最後の力をふりしぼって、もういちど王子の肩にとまりました。

「さようなら、いとしい王子さま」
とツバメはつぶやきました。
「王子さまの手にキスをしてもいいですか」 

「いよいよエジプトに行くのだね。安心しました。小さなツバメさん」
と王子はいいました。

「ここに長くいすぎたよね。
でも、手ではなくて、わたしのくちびるにキスしておくれ。
わたしもあなたを愛しているのだから」 

「ぼくがこれから行くのはエジプトではありません」
とツバメはいいました。

「ぼくが行くのは死の家です。死は眠りの兄弟です。そうですね」
そういってツバメは王子の唇にキスをしました。
そして王子の足もとに落下して息たえました。

オスカー・ワイルド『幸福な王子』(大橋洋一監訳:『ゲイ短編小説集』所収・平凡社)p.109-110


[2009年2月21日 (土) 元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)


2021/01/28

「自分の頭がなくなったと想像してみよう」

 自分の頭がなくなったと想像してみよう。

そう、そして周囲を見渡してみる、ただし、頭がない状態で。

体が肩までしかないと想像するのだ。

もう、目で見るのではなく、合理的な頭脳で見るのでもない。

今見ている世界を頭にとってかえてみる。

世界があなたの頭なのだ!


ヘンリー・リード『エドガー・ケイシー:超能力開発のすすめ』(上牧弥生訳・中央アート出版社)p.47


[2009年2月19日 (木)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)



「電子は電荷を帯びた最も軽い粒子である」

電子は電荷を帯びた最も軽い粒子である。

私たちの手足、体の特徴、あらゆる固体の形は

原子の周辺部を回転する電子で決まっている。


フランク・クロース『自然界の非対称性』(はやしまさる訳・紀伊国屋書店)p.118


[2007年11月20日 (火) 元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)



2021/01/26

「冷笑主義的態度(シニシズム)は、ここでは不要だ」




冷笑主義的態度(シニシズム)は、ここでは不要だ。

オスカー・ワイルドがかつて述べたように、

冷笑家とは、すべてのものの値段は知っていても、

どんなものの価値も知らない人間のことなのだから。


E・W・サイード『知識人とは何か』(大橋洋一訳・平凡社ライブラリー) p116


[2007年11月20日 (火) 元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)