読みやすさのために適宜改行や強調(太字化)を加えています。

イベント参加予定

【イベント参加予定】2024/5/19 文学フリマ東京38 / 2024/5/26 COMITIA 148

2021/02/26

「文学はすべて無名の状態を目ざす」



 本の著者の名前を知りたいと思うだろうか?

この質問には、意外に深い問題がひそんでいる。

…(中略)『老水夫行』を読んでいるときのわれわれは、
天文学も地理学も日常の倫理も忘れている。
著者のことも、忘れてはいまいか。…(中略)
この詩を読む前後にこそ思い出しはしても、
読んでいるあいだは詩そのものしか存在していないのではないか。

それなら、『老水夫行』を読んでいるあいだに、
この詩にはある変化が起きたのである。
「サー・パトリック・スペンスのバラッド」と同じく、
作者不詳と化したのだ。

これで私の結論は出る。
文学はすべて無名の状態を目ざすのであり、
言葉に創造力がありさえすれば、
署名はその真の価値から注意をそらさせるだけだ、
ということである。

…(中略)創造主を忘れるというのも、
創造されたものの機能のひとつなのだ。


E.M.フォースター『無名ということ』(小野寺健編訳・『フォースター評論集』所収・岩波文庫)p.39,47-48


[2009年3月14日 (土)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/24

「手を動かすことで創造力が」

芸術家が創作を開始したとき、

頭の中に明確な最終イメージを持っていることはほとんどない。


(…)私にとってビジュアライゼーションの本当の作業は、

すべて、下書きと修正のなかにあった。

思うに、想像力は手を動かすほどの力を持っていないが、

もの作りに熱中しているとき、

手を動かすことで創造力が刺激された経験を持つ人は多いだろう。


スティーブン・T・キャッツ『映画監督術 SHOT BY SHOT』(津谷祐司訳・フィルムアート社)p.14


[2009年2月28日 (土)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/17

「行為の結果を動機としてはいけない」




あなたの職務は行為そのものにある。

決してその結果にはない。

行為の結果を動機としてはいけない。

また無為に執着してはならぬ。


バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳・岩波文庫)p.39


[2009年2月25日 (水)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/05

「〈知ること〉はすべて、〈知る人〉の構造にかかっている」



〈知ること〉[認識]はすべて

〈知る人〉[認識者]によるアクションなのだ、

ということに気づく。
それが、われわれの出発点だった。

つまり、いいかえれば、
〈知ること〉はすべて、
〈知る人〉の構造にかかっているのだということに。


ウンベルト・マトゥラーナ/フランシスコ・バレーラ『知恵の樹 生きている世界はどのようにして生まれるのか』(管啓次郎訳・ちくま学芸文庫)p.39


[2009年2月23日 (月)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)

2021/02/02

「さようなら、いとしい王子さま」




 ツバメは最後の力をふりしぼって、もういちど王子の肩にとまりました。

「さようなら、いとしい王子さま」
とツバメはつぶやきました。
「王子さまの手にキスをしてもいいですか」 

「いよいよエジプトに行くのだね。安心しました。小さなツバメさん」
と王子はいいました。

「ここに長くいすぎたよね。
でも、手ではなくて、わたしのくちびるにキスしておくれ。
わたしもあなたを愛しているのだから」 

「ぼくがこれから行くのはエジプトではありません」
とツバメはいいました。

「ぼくが行くのは死の家です。死は眠りの兄弟です。そうですね」
そういってツバメは王子の唇にキスをしました。
そして王子の足もとに落下して息たえました。


オスカー・ワイルド『幸福な王子』(大橋洋一監訳:『ゲイ短編小説集』所収・平凡社)p.109-110


[2009年2月21日 (土) 元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)