読みやすさのために適宜改行や強調(太字化)を加えています。

2021/02/26

「文学はすべて無名の状態を目ざす」



 本の著者の名前を知りたいと思うだろうか?

この質問には、意外に深い問題がひそんでいる。

…(中略)『老水夫行』を読んでいるときのわれわれは、
天文学も地理学も日常の倫理も忘れている。
著者のことも、忘れてはいまいか。…(中略)
この詩を読む前後にこそ思い出しはしても、
読んでいるあいだは詩そのものしか存在していないのではないか。

それなら、『老水夫行』を読んでいるあいだに、
この詩にはある変化が起きたのである。
「サー・パトリック・スペンスのバラッド」と同じく、
作者不詳と化したのだ。

これで私の結論は出る。
文学はすべて無名の状態を目ざすのであり、
言葉に創造力がありさえすれば、
署名はその真の価値から注意をそらさせるだけだ、
ということである。

…(中略)創造主を忘れるというのも、
創造されたものの機能のひとつなのだ。


E.M.フォースター『無名ということ』(小野寺健編訳・『フォースター評論集』所収・岩波文庫)p.39,47-48


[2009年3月14日 (土)元投稿]
(「ココログ「としま腐女子のいろいろ読書ノート」より引っ越し)